★★★慶弔関係のページ

応援団OBの皆様にとって、人生が長くなれば長くなるほど喜びや悲しみを増えることと思います。これまで、掲示板で訃報やお祝いごと等のメッセージを頂いていました。でも掲示板では、次から次に連絡が入り込んでせっかくのメッセージも埋没します。

そこで、この「慶弔関係のページ」を新設いたしました。

掲示板に投稿された中での慶弔関係をこのページに移動して残しておきたいと思います。


2018.5.25 【訃報】第7代三小田啓治氏、ご逝去の連絡

詳しくは、OBの広場のページをご覧ください。三小田氏は第7代総務長として活躍され、大学卒業後は福岡市教育委員会にて小学校教諭、教頭、校長として初等教育に尽力されました。大きな声と人情味あふれる振る舞いは、多くの応援団OB、そして教育関係者に慕われていました。心より哀悼の意を表します。

◎通夜 5/26(土)18:00~香椎典礼斎場 ℡092-672-1544 (〒813-0044 福岡市東区千早5-15-28)

◎葬儀 5/27(日)10:00~  (会場は通夜会場と同じ) 

◎喪主 三小田律子さま(奥様)

剛毅第2号から

(三小田啓治氏寄稿、当時一回生)

やっと入れた大学での生活で……

 ● 一番嫌いだったこと-----応援団に入ったこと

   (理由)練習

 ● 一番良かったこと------応援団に入ったこと

   (理由)団員の人間関係、体を動かすこと

       練習後の爽快感などなど

この矛盾の中に自分はいる。どうしようもない現実だ。でもどういうわけか、現在は後者が前者よりも心の中で占める範囲広いし大きい。だから先輩を見習って早く本当の馬鹿になり今後も団とのくされ縁をTづけるつもりだ。

 

(プロフィール)さっちゃんでデビューした男、大きななりをしているが、全身に優しさがあふれている。また、大黒様のスタイルをさせるとピッタリである。金欠病の応援団にとっては心強い。

写真は三小田氏3回生、幹部の時の演武会(昭和48年1月)での田原坂のリーダーである。


8代(中野)

三小田先輩の訃報に接し心より哀悼の意を表します。応援団在籍中はもちろん、卒業後も福岡市内というエリアが同じであり、一緒に飲む機会もあり、とても懇意にさせていただきました。ビアガーデン・スナック等に行き、はしごをしたこともありました。中洲大通りで武夫原頭を肩を組み踊ったことも思い出されます。また、教育関係者の共通の知人も多数出来ていました。その知人から三小田さんの管理職として奮闘ぶりや三小田さんの持て生まれた明るさで、楽しい学校になっていることも聞かされていました。本当に残念です。心より冥福をお祈りいたします。

 

三小田先輩の通夜に行ってきました。応援団OBでの出席者は、古賀(3)、田村(5)、河村(7)、竹下(7)、原田(7)、中野(8)の6名でした。亡くなるまで意識はしっかりされていて、「応援団のみんなにもよろしく」と伝えてくれ…病床の中でも言っておられたと奥様から伺いました

 

7代(河村)

三小田君の通夜葬儀に多くのOB皆様にご参列いただいてありがとうございました。弔電も沢山いただいてありがとうございました。葬儀に参列して一番感じたことは、三小田君の応援団愛の深さでした。奥様の挨拶、お嬢さんのとの話、導師様の法話、送別の言葉すべてに応援団の話で一杯でした。そして、奥様とお嬢様から「是非武夫原頭に草もえてをお願いします、主人も一緒に歌いますから」と依頼がありました三小田君がいつも応援団のことをいつも周りの人に話していたからだと思いました。

三小田君は声が応援団1大きくて、体もデカくて、心もデカくて、正義感の強い男らしい男でした。一方、皆を楽しませてくれ、人から本当に愛されてました。我々はあなたの仲間だったことを誇りに思います、ありがとう三小田君。奥様から「皆様にも宜しくお伝えくださいと」何回もありましたので皆様に報告します。 三小田家の末永いご多幸を祈念し、フレー、フレー、三小田。


2018.4.19 第15代真藤浩隆氏のご逝去の報に接しました。

詳しくは、OBの広場のページをご覧ください。第15代は幹部が8人で団員も多かった時期です。当時の「剛毅」から真藤氏の寄稿文を再掲します。 

剛毅第11号から

(真藤浩隆氏寄稿、当時二回生)

 人間が好きになる時がある。自分にはないものをそいつの中に見つけた時、そいつをうらやましいと思うし好きになる。当たり前のことだけど顔が違うように性格も違う。それがいい。

 話を変えよう。よく考えてみたら俺は二回生だった。”もっと二回生らしくしなさい”としかられる。誰からでもない、俺自身から。でもこんなアホな二年もいてもいいと思う。後輩よ他の二年を見習てくれ。

 話を変えよう。秋はいい。一人でいるのが楽しい。俺には孤独がよく似合う。自分の影は踏みたくない、常に太陽を浴びていたい。色々考えても仕方ない。やるだけ、バカになるだけ、応援団を食ってやる! 

 ふと気づくとそこには詩集があり、秋の木漏れ日を受けていた。その詩集の表紙の”きぼう”という字が眩しかった。


★葬儀に参列して(10代 村瀬)

本日(4月19日)第15代目眞藤浩隆君の葬儀に参加しました。葬儀会場は彼が勤務しておりました長崎南山学園と関係が深く学校の隣接敷地にあり、多くの教職員、生徒、OBの参列があり、生前における故人の活躍、人柄が偲ばれました。4月2日直腸がんの手術が成功して、順調な回復で、ゴールデンウイーク明けには職場復帰の意向でいたところ、先週の金曜日から突然容態が悪化し、透析を試みたが、昨日未明に逝去されたとのことです。

昭和57年に長崎南山学園に採用され、36年の勤続、応援団の顧問もした58年の生涯でした。ご遺族も学校関係者も突然の死であったため、深い悲しみにありましたが、葬祭場を出た霊柩車が学校の正面玄関に廻り、待機していた大勢の在校生や教職員、保護者などから見送られるシーンもあり、尊敬される教員であったことを痛感いたしました。

あらためて、眞藤浩隆君のご冥福をお祈り申し上げます。


2018.1.8 第18代総務長 福崎誠氏を偲んで

剛毅に掲載された同氏の投稿文を掲載します。二回生になったばかりの五月合宿の出来事の感想を綴っておられます。氏の人柄を彷彿とさせる思いがします。

氏のご冥福をお祈りいたします。また第18代の同期である天本氏、本壽氏からの追悼文もあわせて掲載します。

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五月合宿を終えて (二回生  福崎誠) 

それぞれの学年毎に別々の目的を持ち、また授業にも出なければならない五月合宿…。真面目な人にはとてもハードな合宿である。合宿初日の朝練習でいきなり武蔵塚まで走ってしまったからたまらない。俺は二回生だから遅れちゃいかんと思って、一年と同じくらい、いやそれ以上に必死だった。

それで、みんなと一緒に武夫原に着いた時はホッとした。それからその数時間後に嬉しくなってきた。考えてみると、初めて俺は武蔵塚の道を遅れずに走れたのだ。 

二回生は、実践を教えてもらう。今年の二回生はもの覚えがいいらしく、すぐに出来るようになったが、もの忘れが激しくて、今頃(演武会前)になって、実践演武のことでああやこうやと言っている。しかしながら、今、五月合宿を振り返ると一日に3つ、4つの実践演武をよく覚えたものだと思う。 

その五月合宿の打ち上げは、もちろん、合宿所の外灯の下の草むらである。合宿のうっ憤や笑い話や、一回生の歌などで場が盛り上がっていく。また一回生が涙ボロボロで河野さん話している。その横では当時四回生の久家団長が三回生の人たちと話されている。幹部を決める参考にされるのだろうか。 

俺はといえば、一回生を吐かせて寝かせる。一回生にも手がかかる奴もいて苦労するぜ。打ち上げも終わりになってくる。巻頭言をきって、場所を片付けて、生き残った者でドンチャン騒ぎをやる。思う存分歌えて良かった、良かった。こうやって五月合宿が終わった。最初と最後ばかりの感想になったが。ほかの事は覚えていないので仕方がない。

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★★18代 天本真臣(2018.1.8) 

昨日、18代総務長 福崎誠先代の葬儀に参列して参りました。突然の訃報に言葉もありません。

ご家族の悲しみはいかばかりかと拝察いたします。謹んでお悔やみ申し上げます。

最後に会ったのは福崎君の結婚式の時でした。久々の再会がまさかこんな形になろうとは。

年頭にいただいた年賀状には「今ゴルフにハマってます」とあり、いつもと同じ穏やかな新年を迎えられたと拝察しましたが、1月4日の夜、突然くも膜下出血に襲われ、治療も間に合わなかったとのことです。

式の間、祭壇の遺影を私はずっと見つめていました。お嬢様の入学式でしょうか、満開の桜を背にあの頃と同じ穏やかな微笑を浮かべる福崎君の姿がありました。まだ中学生の二人のお嬢様、最愛の奥様と共に、愛情に満ち溢れた素晴らしい家庭を築かれたことは、ご家族のお別れの言葉から容易に窺えました。ご本人もご家族もさぞかし無念であったことでしょう。

突然の死を迎える時、人は何を想うのでしょうか。今はただご冥福をお祈りするばかりです。

どうぞ安らかにお眠りください。    合掌

 

★★18代  本壽英二(20181.15)

突然の訃報で、言葉もありません。福崎君とは、麻雀、パチンコ、ボウリング等々、原付バイクで大学周辺をうろうろしながら、よく遊んでいました。煙草を吐いて、ニコッとする笑顔が思い出されます。洋楽が好きで、教えてもらったポールヤングやシンプリーレッドは、今もよく聴いています。

定年でもして、のんびりできるようになったら、そのうち会えるかなぐらいに思っていました。もう会えないんですね。残念です。心からお悔やみ申し上げます。 


2017.7.1  副島氏葬儀に参列しました

(掲示板の河村会長投稿より)

副島先輩の通夜、葬儀に行ってきました。多くの応援団関係者の参加ありがとうございました。葬儀では団旗を会場入り口に掲げさせていただきました。奥様他親族の方々に「この団旗のデザインは副島先輩作です。」と伝えると大変喜んでいただきました。副島先輩の大きさを我々は応援団の中でしか知りませんでしたが、今日教師としての偉大さを初めて知った気がしました。応援団の学生生活で培われたことを、教師になられて実践され、先輩の宝物は教え子であった様です。生涯現場一教師として教え子に立ち向かい絶対逃げなかった姿がそこにありました。男の生き方として羨ましさえ感じました。

2017.7.1 副島先輩を偲んで

 副島先輩のご逝去の報に接し、心から哀悼の意を捧げます。生前を偲び、昭和47年発行の剛毅第4号から副島先輩の寄稿文の再掲します。

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 学校、山間の小さな中学校で今、急造の応援団指導で忙しい毎日を送っている。中体連で是非必要なのである。汗を流して手をあげている生徒を見ると可愛いと思う。声変わりの時期でもあり、それは奇妙な声を出す。本当に笑ってしまう時もある。楽しい指導の時間である。

 大学時代に馬鹿みたいに手をあげたり四股立ちをしたのが懐かしく思い出される時間である。今の俺にとって、応援団は初めて惚れた女と同じで欠点も判らずに、ただ甘酸っぱい、あのトレーニングシャツの饐えた匂いをいいと思うのは、焼酎飲みのあの独特の匂いがいいと言うのと同じなのか。だからいつまでも追いかけるのだ。あの甘酸っぱさを…。

 だが環境の変化は、家庭人、社会人という枠の中では、その甘酸っぱさをもう求められないのだと痛感する。何たって俺は哀しい大人なんだ。甘酸っぱい匂いを思い出すことが俺の特権だと気づき、そしてその甘酸っぱさを俺が持つことが出来たということ。そいつが素晴らしい。大学の時の応援団の素裸の人情、そういったものをただ懐かしく嬉しく思い、戻れ切れないことを哀しき思う。

 今、14、15歳の子らがお手を振り振りやっている。手が震えている。苦しいだろう。苦しめ。お前らの甘酸っぱい、濃くのある甘酸っぱいものを今から発酵させるために。俺はトレシャツ姿で地面に座りタバコを喫いながら遠く有明海に浮かぶ湯島を見る。子らは俺と煙と青空を恨めしそうに見ている。

8代 長谷政晴

副島先輩の葬儀に参加して、改めて先輩の人としての器量に大いに感ずるところがありました。通夜では、同僚だった先生方もたくさん見えていましたが、それ以上に教え子さんが沢山来ておられました。おそらく先輩が初任の頃の教え子でしょうか、相当年配の方々が「教え子です」といいながら、連れだってお参りされていました。生徒とともに日々奮闘され、特にいわゆる「やんちゃな生徒たち」としっかり向き合われてこられました。葬式では、生活指導の研究会を立ち上げて若い先生方をリードされていたことも知りました。生徒や保護者以外にも、多くの人と沢山の実りある関係を築いてこられました。苦しいことも多かったと思いますが、あの笑顔と輝く瞳で、そのときその時をしっかり生きてこられたことが偲ばれ、本当にすごい先輩だったとの思いを強くした次第です。多くの方々が先輩との出会いを忘れ得ぬものとして大事にされていると感じました。今にして思えば、50周年記念演武会を先輩に見せることができて本当に良かったです。有り難うございました。

 ご冥福を心からお祈り致します。

 

8代目 高橋

謹んで、哀悼の意を表します。

副島先生は、教育に全身全霊をかけてこられた求道者のような先輩でした。

「国語」の教師には、日本語という言葉の教育だけでなく、言葉を通して日本人の道徳観・倫理観をも教えることがも求められています。

先生の教育者としての立場は、応援団活動の中と全く同じで、常に女房役に徹しておられたように思います。同じ教員の道を選んで、先生の真似をし、追いつきたいと願ってきた私でしたが、ついに足下にも及びませんでした。ゆっくり日本の教育について、お話を伺いたかったです。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。


 

★★★2016.1.6 佐村先輩1周忌の案内
 (期日等)2月13日(土)12時00分に行橋駅前集合

            13時30分に佐村先輩宅訪問

※参加者は河村氏まで連絡ください。生花はOB会で準備しますがその他は各自でご手配下さい。現在参加予定者、古賀、南、上城、野村、河村(敬称略) 
皆様の参加お願いします。

 

★★★2015.12.21 河村 久幸

 

(藤川君のご逝去に接し)12/20(日)私と清水君で、藤川君の実家、上益城郡山都町にお参りに行ってきました。お母様とお話ができました。休日に実家に帰り農作業を手伝い運転するトラクターが横転しての事故だったそうです。ドクターヘリで日赤に運ばれたそうですが手遅れだったみたいです。慣れない仕事だったんですね。本当に残念です。藤川君を語る時、誰もが皆が純朴で誠実でしたと言います、彼の実家の周りの雄大な風景を見るとこの自然が彼を育てたんだなと納得しました。ご冥福をお祈り申し上げます。また同期の椛島君、木村君も午後から弔問していただいたそうでご苦労様でした。

 

★★★2015.12.12 松本 淳

(藤川君のご逝去に接し)あまりに突然のことで残念でなりません。ご家族の皆様の心中を思うとお慰みの言葉も見つかりません。藤川君が鼓手の練習を頑張っていた姿、寮の部屋で堀尾君たちと楽しく過ごした時間、酔っても覚めても純朴で誠実だった人柄を思い出しています。 卒業後ずいぶん経って、藤川君が勤めていた会社を辞めざるを得なくなり、相談を受けたことがありました。その時に力は貸せなかったけれども、学生の時と同じように話しができたことがとても嬉しかった。しかし、もう話すことができないとは。まだ気持ちの整理がつきません。心からお悔やみを申し上げます。

 

★★★2015.12.12 木村 誠司

(藤川君の笑顔に感謝)応援団時代のアルバムを見ています。
藤川君は、笑顔です。藤川君のたたく太鼓の音、バチの音がよみがえってきます。

藤川君の純粋で優しい語り口調が懐かしく思い出されます。

のお陰で応援団を続けることができました。

来年のOB会で会いたかった。残念でなりません。また、どこかで会おう。      押忍

 

★★★2015.12.12 椛島 正利

 19代の藤川君が10月4日に亡くなったとの知らせが届きました。実家で農作業中の事故だったようです。突然の訃報に、言葉もありません。2年前のOB会で再開したのが最後になってしまいました。今思えば、今年のOB会の時点では、すでに亡くなっていたんですね。ただただ、残念でなりません。来年のOB会には、参加してもらおうと思っていたのに。

連絡を受けて以降、純朴な藤川君の姿が思い出されてなりません。今はただ、ご冥福をお祈りするばかりです。安らかにお眠りください。     合掌  

 「藤川〜」

 

-----2015.10.4 第19代藤川勇誠氏ご逝去

 

★★★2015.7.26 河村 久幸

本日、和田先輩の3回忌で行橋市内垣の自宅とお墓にお参りに行きました。台風を心配しましたが、
若干帰路高速道路で風を感じたくらいで影響はありませんでした。

先輩は依然から大学時代の話をされる時は、文学部の話は全くなく応援団の話ばかりだったそうです。応援団は他と全く別の存在だったようです、とおっしゃいました。
先輩の話で盛り上がり、ご夫人も大変喜んでいただきました。アッとゆう間の1時間でした。古賀先輩、南先輩、上城先輩、児倉先輩、野村先輩大変ご多忙の中、そして遠方から大変ありがとうございました。

 

★★★2015.3.30 河村 久幸

野村先輩、林先輩、河村、長谷君4名で。昨日(3月29)佐村先輩の仏前お参りに行ってきました。49日の法要のあとご多忙の中1時間程度思いで話をさせていただきました。
奥様と話がゆっくりできてと思いましたのは、佐村先輩の一生は66年間でしたが、充実した密度の濃い人生を送られ平均寿命以上の人生だったと思いました。
行って本当に良かったです。安らかにお眠りください。

 尚、OB会では2016年2月12日ごろの1周忌での弔問する予定です。

 

★★★2015.3.25  茅畑 篤

佐村先輩のご仏前お参り、どうしても都合つかず御無礼します。よろしくお伝えください。和田先輩のご葬儀て久々振りにお会いし、「お~茅畑」と声を掛けて下さったのに側に寄っての話ができなかった。藤崎から一緒に屋台を押して帰ったことです。「梅と兵隊」を唄いました。

 

★★★2015.2.12 河村 久幸

佐村先輩が亡くなられました。誠に残念でなりません。いまは只々ご冥福をお祈りいたします。葬儀等の日程は下記の通りです、取り急ぎ連絡いたします。(以下略)
  

★★★2014.12.8 河村 久幸

12月7日内田先輩のお墓参りに行きました。OB会から花束他お供えさせていただきました。
副島先輩、古賀先輩、茅畑先輩、野上先輩、林先輩、原田君、遠方ありがとうございました。
前原駅前にて集合し霊園まで内田先輩のお兄さんに案内していただきました。在りし日の故人の写真を見せていただき、ほんとうに楽しそうな写真ばかりで充実した中身の濃い人生だったんだなと感じました。お兄さん本当にありがとうございました。お参りできて良かったです。

 

★★★2014.12.8 福岡 潤

内田君、安らかに・・
生産機械科でも同窓の君の訃報に接し、只々沈んでおります。
白川の畔の下宿屋で語り、飲んだことが思い出される。犬童さん、田尻、恒喜もおったよな・・
学生運動の最中に入学した我々「団塊組」は、真面目に明日を憂えたよな・・

今宵は久し振りに40数年前の感慨に浸っております。

 

★★★2014.11.18 林 和徳

11月18日内田清さんのお兄さんから悲報を受け取りました。
内田さんは昔の懐かしい思い出話をするなど穏やかの日々もありました、2013年12月4日に入院先の病院でご逝去されました。
昨年夏お会いし、昨年のOB会当日には河村会長と電話で来年の(平成26年度)OB会には是非参加したいと話されていました。今年のOB会で会えることを楽しみにしていましたが残念です。
ご冥福をお祈りいたします。

 

-----2014.7.26 故和田先輩一周忌法要(京都郡犀川町)(OB15名参列)

 

★★★2013.11.4 河村 久幸

11月2日OB会総会、和田先輩追悼式、懇親会開催しました。今回は何時もより多数の参加ありがとうございました。
和田先輩の追悼式では、池田先生、顧問の中川先生、古賀先輩から追悼の辞をいただきました。
懇親会でも副島先輩、南先輩、上城先輩、桃坂先輩他お言葉を頂きました。改めまして和田先輩の偉大さ、和田先輩の男の世界、和田先輩の人間力の豊かさを話して頂き本当に私たちOB に勇気と感動を与えていただきました。開催して良かったと思いました。そして皆様のご協力ありがとうございました。