OBの皆様からの「卒業生へのメッセージ」の一部を映像でまとめました。

剛毅集とあわせて鑑賞してください。

上の寄稿の楕円をクリック 


    第48代幹部への祝卒業メッセージ(1~15)

      (剛毅集:OBから寄稿を3分割で掲載)

市原団長以下、令和4年3月に卒業される皆さん、卒業おめでとうございます。4年間応援団活動に力を注いでくれてありがとう。

コロナ禍での活動は、我々の知り得ない苦難もをあったことでしょう。是非、4年間の大学生活、団生活を活かして羽ばたいてくれることを期待します。   以下OBからのメッセージです。


1. 市原翔一郎(47,48団長)

押忍。熊本大学応援団にて48代、49代にわたり団長を務めました市原翔一郎と申します。この4年間は貴重な体験を多くすることができました。これも日頃よりご指導ご鞭撻、そしてご支援いただいているOB,OGの皆様のおかげにほかなりません。日頃から心より感謝申し上げております。

2018年の入学式に県立劇場で中村先輩が一人でステージに立ち、堂々とした演武を披露され、衝撃を受けました。高校時代にも応援団は経験してきましたが、迫力が段違いで初めて人のパフォーマンスを見て自分にはできないと感じました。しかし、その感情は同時に自分も追いつきたいという目標にもなりました。

それから二年間中村先輩と同期の蓮池、松元と共に練習を重ね、OBの皆様からもご指導いただきながら様々な演武を行うことができるようになりました。2年生になると高野が入部し、部活に活気があふれ充実した学生生活を過ごすことができました。

高校までと違い、部活の幅を広げるために動くことができました。そしてその試みが成功したときが部活にも貢献することができたと感じることができ、非常に嬉しく誇らしい気分になったものでございます。また、新型コロナウィルスが流行し、部活動が禁止され3年から4年の間は思うように動くことができなくなりました。しかしそんな中でも東京オリンピックの応援イベントや演武会などに参加し、逆境の中でも挑戦する経験ができました。

部活を通して培った「行動力」が今後人生においてでも生かすことができると確信している次第でございます。

活動の中で、団員には大変多く助けられました。イベントの契機は持ってくることが多かったのですが、練習の時や計画性に欠けてるときなどにサポートしてくれました。一人では絶対に成功できなかったと思います。

特に同期の団員には4年間メンツが変わらず、迷惑をかけてしまい勝手ではございますが、このメンバーでよかったなと感じております。

  この4年間で得た経験を卒業した後も生かし、社会に貢献できるような人間になることを目標にすることを誓い、私の言葉とさせていただきます。



2. 蓮池萌加(47,48,副団長)

押忍。49代副団長を務めております、蓮池です。私が熊大応援団に入ったきっかけは、中村先輩の入学式での演武を見て感動したからです。入団後も中村先輩には大変お世話になりました。動と静を意識した基本的な動きから、声の出し方、それから熊大応援団としての心得など、何から何まで丁寧にご教示くださりました。改めて感謝申し上げます。また、私が1年の際には途絶えつつあった演武一つ一つを真摯にご指導くださったOBの方々にも、この場をお借りして感謝申し上げます。

3年になってからはコロナウイルスの蔓延により思うように部活動ができなくなりましたが、同期の市原と松元、そして後輩の高野と4人で協力しあって、無事演武会を開催することができました。私がコロナ禍においても応援団に対する意識を高めていられたのは、紛れもなく仲間のおかげだと思っています。彼らと切磋琢磨していったことにより、世界女子ハンドボール選手権をはじめ、野球部の応援など新しいイベントにも挑戦できました。 

来年から部員は少なくなりますが、今後の熊大応援団の益々の発展を心から祈っています。私自身も、この4年間で学んだことを忘れず、熊大応援団OGとして胸を張れるような社会人になれるよう、精進していきます。ありがとうございました。



3. 松元詩乃(47.48鼓手長)

応援団として活動するのも4年目となりました。始まりは、1年生のとき、入学式の会場である県立劇場で見た2年上の先輩の演武でした。静寂の中、女性の先輩が一人で力強く声を上げ、魂のこもった巻頭言を披露されました。一瞬で、背筋がゾクゾクとしたのが分かりました。かっこよかったです。しかし、自分にはとてもじゃないけどこんなことはできない、同時にそう感じました。

 それから数か月が経ちました。大学生活はめまぐるしく、私は何のサークル、部活動にも所属していませんでした。そのような中、同じ学部で今の同期の蓮池に応援団に入らないかと声を掛けられました。初めは、団員として演武をする自信がなく、皆をサポートするマネージャーとして入部しました。しかし、OB会長が「鼓手をしてみないか。」と声をかけてくださったことで、私は思い切って鼓手になることを決意したのです。

 そのときから3年半が経ちました。今は、あのとき鼓手をやると言ってよかったと心から思っています。憧れていた2年上の先輩の指導は熱心で、時に厳しく普段は優しく、3人いる同期1年生の私たちを心から気にかけてくださいました。ただ演武をするだけではなく、一つ一つの動きに心を込め、応援する人のことを考えることで演武が変わることを知りました。

 さらに、様々な経験をさせていただきました。OBの先輩方は休日に私たちに演武を伝授してくださいました。先輩方が、どのような思いで活動に取り組んでこられたのかを身を持って感じました。OBの先輩方と関わり、様々なお話を聞く中で、改めて応援団の歴史を感じ、応援団に入っていてよかったと心から思いました。

 3年、4年になると新型コロナウイルスが流行し、満足に部活動ができず、OBの先輩方ともなかなかお会いできませんでした。その都度、できることを探して練習や活動を同期3名で協力してきました。後輩にも恵まれました。

  私は、大学生活で応援団に入れたことを正直、一番誇りに思っています。支えてくださった方に感謝しています。



4. 高野真心(49団長)

押忍、熊本大学体育会応援団リーダー部高野真心と申します。

私の応援団としての活動は限られたものですがとても貴重な経験です。

応援団入部のきっかけとしては、入学式での先輩方の演舞です。当時4名の先輩方が在籍しており、2000人ほどの新入生の前で堂々とした演舞をされていました。当時小学生の頃からやってきた陸上競技ではなく新たに本気になれるものを探していた私はその姿に衝撃を受けました。それまでは応援団というものに対して全く知識も経験もありませんでした。そのため、こうやって誰かを思って応援することで私のように感動する人がいるのならば、自分も感動させることの出来る人になりたいと強く感じました。

入部してからは、先輩方やOBの皆様のご指導の元練習してきました。声の出し方、姿勢の作り方、視線の向け方など全て初めてだったので迷惑ばかりかけました。しかし、いつも丁寧に説明や手本を見せてくださり少しずつ自分の形なども見つけることができていきました。

これまで、OB総会での演舞披露、九州演舞会、野球部さんの応援、ハンドボール世界大会での応援や熊本城マラソンの応援など数々の舞台で、多くの方へ応援の気持ちや感謝の気持ちを伝えることができました。また、その中で私が過去に感じた感動を人に与えることができたと実感することもありました。その時は、こちらが精一杯応援することで、自然と自分も応援されていることに気づきました。

この約2年間は新型コロナウイルスの影響で思う様に活動できず、現在はこれから私が団を守っていけるのかという不安に駆られています。しかし、これまで様々な方に教えていただいたことを、これからも残していける様に精進していきたいと強く思います。 

まだまだ未熟者ですが、どうぞこれからも温かいご指導・ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。



.大日方信春(顧問)

2018年度(平成30年度)より熊本大学応援団の顧問を務めております大日方(おびなた)です。

いつもお世話になっております。長引くコロナ禍の中で、学生に思うような活動をさせてあげられないことについては、申し訳なく感じております。

 まずは近況をご報告させていただきます。この間、2019年(平成31年)の4月に所属する法学部の副学部長になり、続いて、2021年(令和3年度)4月に法学部長に就任いたしました。もちろん、このまま応援団の顧問は続けさせていただくつもりでおりますが、学部を代表する立場になりましたので、それ以外の関係でも皆様のお世話になることもあると思います。引き続き、よろしくお願いいたします。

 ところで、ちょうどわたしが顧問をお引き受けしたときの新入生が早くも卒業を迎える時期になりました。彼・彼女らには、社会に出て、大いに活躍してもらいたいと思っております。ただ、何かに躓くことがあったら、応援団のことを思い出し、卒業生や大学を頼ってください。そして、今度は卒業生として懇親会にもぜひ出席してください。皆さんのご成功を祈念しております。

  最後に、まだまだ先行き不安定なところでございます。不自由を甘受しなければならない状況ですが、お体にはどうかご自愛ください。お会いできる日を心待ちにしております



6.河村久幸(7,OB会会長)

今春熊大をそして熊大応援団を卒業される皆さん、市原さん、蓮池さん、松元さん、そしてチェアリーダー部の4年生の皆さん本当にご苦労様でした。最後2年間はコロナの影響でクラブ活動もかなり制限され満足いく活動ができなかったと思います。しかし皆さんは応援団を確実に次に繋いでくれました。高野さんに、チェアリーダー3年生につながって、キット永遠に存続すると思います。

4月から新社会人ですが、応援団を経験したということは、素晴らしいことで自信を持って新しい仕事にチャレンジしてください。50周年記念号「剛毅」を改めて読んでみますと、OBの皆さんは「友という財産を得た」、「自分を鍛えてくれた」、「応援団が宝物」、「退部しなくてよかった」、等々応援団への「感謝の言葉」でいっぱいです。それほど応援団は各人の青春時代の胸に熱い思い出を刻んでくれたんだと思います。

  近況ですが、食品製造会社に月、水、金勤務しています。ゴルフに月間5回、ジムに週3回、それと最近はまっているのが、農業です。玉ねぎ、にんにく、空豆、等々見事に育ってます、6月の収穫が楽しみです。隣近所に今年も配る予定で喜んでもらえるにのがうれしいです。今日はジャガイモの植え付け準備をしてきました。元々農家出身ですがお百姓さんにだんだん近づてきました。

最後に熊大応援団のますますの御発展と、今春卒業の皆さんの御活躍を祈念申しあげます。OBの皆さん、秋にお会いできるのを楽しみにしております。 



7. 中村あゆみ(44,45,46団長)

熊大応援団を卒業されるリーダー部、チアリーダー部BLAZESの皆さん、ご卒業おめでとうございます。 一緒に練習をした日、他の部活動さんの応援に行った日、紫熊祭のステージで演武と演技をした日…。 皆さんと過ごしたたくさんの日々が昨日のことのように思い出されます。

BLAZESの皆さんは、いつも明るく素敵な笑顔で活動されていたのが印象的です。 皆さんの笑顔から、元気と勇気をもらいました。 皆さんの元気と勇気と笑顔を、これからも大切にしてください。

リーダー部の皆さんは、私にとって、リーダー部として初めての後輩でした。

個性が豊かで、エネルギッシュな姿勢に刺激をもらい、私ももっと頑張らなければと思わせてくれました。 皆さんと一緒に活動できたこと、本当に嬉しく思います。   ありがとう!

  私は現在、愛知県で自動車関係の会社に勤めています。

大学までで学んで来たこととは別の分野なので、勉強することばかりの日々を過ごしています。

熊大応援団の皆さんから教わった、最後まであきらめないことを忘れずに、これからも頑張ります。 またOBOG総会で皆さまにお会いできる日を楽しみにしております。     押忍



8.立邊 宏美(13

卒業される4回生の皆様へ ご卒業おめでとうございます

少ない人数で熊大応援団をつなげていただき、本当にありがとうございます。私にとって熊大応援団は心の拠り所であり、心身が元気になるものです。また家族にも,職場にも,その他友人,知人に対して自慢できるものです。

折に触れて応援団時代の写真を見て,きつかったけれど,楽しく過ごしたことを思い出していますよ。私は,これからもずっと貴重な心の宝として大切にしていきます。

(近況報告) 

現在私は再任用で高校教員をしています。再任用期間があと1年となりますが,その後もできれば教員を続けていくつもりです。教え子の中には熊大に進学し卒業して高校教員をしている者もいますよ。なかなか熊本に足を運ぶことができませんが,行く機会をぜひ作りたいと思っています。どうぞ,よろしくお願いいたします。



9.椛島正利(19)

今年は年男。先日は厄払いに行って来ました。ということで、今年60歳になります。定年まで残り1年。昭和38年生まれからは定年が1歳延びて61歳となり、その後数年間で最終的には、65歳まで定年年齢が伸びて行きます。働けるうちは働けということです。

 しかし、私の生まれた昭和37年までは60歳で定年となります。退職後のことを考える時間が増えてきました(定年後も何らかの仕事を続けるつもりではいます)。

 けど大学を卒業して40年近くなるというのに、こうして先輩・後輩の方々と繋がっていられることが、応援団に誘っていただいたあの瞬間から始まっていることを思うと、感慨深いですね。その瞬間はなんでもない様な判断が、その後の人生に大きく影響している。象徴的な出来事です。

 さて、現役の皆さんとは、演武で伝達練習で楽しい時間を過ごさせていただきました。学園大学との合同演武会にもバックで参加しました。良い思い出です。 今年卒業する3名の皆さん、後半の2年間はどの様な学生生活だったのでしょうか。ちょっと想像ができません。

 けど、苦しさの中にこそ喜びがあることを我々は知っています。今はじっと耐えて、諸々の制限が解除された暁には大いに楽しみましょう。再開できる日を楽しみにしておます。



10.長谷 政晴(8)

武夫原で現役と共に「押忍」

 48代目応援団とチアリーダー部の皆さん、卒業を間近に控えてどんな気持ちでいますか。ここ2年余り、学生生活を有意義にそして楽しく過ごせたかと振り返るときに多くの心残りがあるだろうと推察します。今の学生さん達の状況と比べれば、私の卒業間近の時期は、申し訳ない位お気楽なものでした。

 四回生との出会いは武夫原での演武伝達練習でした。中村団長とOB会が久しく待ちこがれた複数名の新入団員に演武を教えるということで我々OBも大いに気合いが入りました。練習の回数は限られましたが、意欲的な取り組みで上達も早かった。松元さんの太鼓は阿南君の指導でどんどんうまくなりました。蓮池さんの「田原坂」の口上と「たばるざあか」と歌うところ、良い声でした。市原君は元気一杯ですでに「必勝の歌」がはまりそうでした。それにしても現役団員と応援歌や学生歌を武夫原で大声で歌うのは気持ちがいい。自分を奮い立たせてくれました。その後九大での演武会等で熊大応援団の心意気をしっかり表現してくれました。コロナで活動が制限された中でもオンラインでの演武会など意欲的でした。与えられた状況の中で精一杯やったと胸を張っていい。

  応援団を一方で支えてくれたチアの四回生の皆さん、応援団としての活動、ブレイジーズとしての活動で周りに元気を与えてきたと思います。初めて見た応援団とチアの「武夫原頭に草萌えて」は胸が高鳴ったものでした。

華やかさや笑顔は応援団の新たな要素であり、もっとメンバーが増えて欲しい。今振り返ると熊大に演武伝達に行っていた時に、チアの皆さんとも交流をしておけば良かったなと思っています。

 卒業後は新たな環境での生活や挑戦が始まりますが、応援団やチアリーディングで培ったものが必ず役立ちます。大いに活躍されんことを祈ります。またOB会で会いましょう。

(近況報告) 

 大牟田に住み着いて十年、六五才で退職して五年が過ぎました。元気にしています。今は六十坪ほどの畑で野菜を作りながら、近くの農事法人組合の組合員として三十ヘクタールの耕作地に米、小麦、大豆を作る手伝いをしています。昨年からは放置竹林を伐採整理して、筍を掘って出荷する仕事も加わりました。毎日というわけではなく、呼び出しがかかった時の仕事で楽しみながらやっています。野菜作りも含めてまだまだ勉強することが多く、これからも年相応に頑張っていきます。



11.岡本久男(11

4年生の皆様、ご卒業おめでとうございます。この4年間、コロナ禍もあり、満足のいく大学生活ではなかったと思います。卒業(卒団)されても同じOBとして今後も総会、懇親会等でお会いしましょう。一緒に後輩の力になりましょう。皆様の今後のご活躍、ご健勝をお祈りいたします。

 さて、私は現在66歳で3月末で42年間務めてきた会社を退職します。退職後は、ウオーキングやジョギング、ゴルフなどで体力を維持し、ちょっとした野菜作りに励もうと思います。コロナの影響で居酒屋での飲食もほとんどありません。自宅で晩酌するくらいで健康には良いことだと思っています。

 今回はOB会がありませんが、秋以降に開催されますこと祈っています。その時は、皆様と一緒に歓談いたしましょう。熊本大学応援団の益々の発展、皆様のご健勝をお祈りいたします。

 



12.木村 誠司(19

ご卒業おめでとうございます! 

市原さん、蓮池さん、松元さん…とうとう学生生活も終わりになりますね。本来ならOB会でお会いして直接お話したかったですが、この状況下では仕方なく文章にて失礼します。

私が皆さんを見たのは、中村団長の後輩として熊大応援団を支える姿でした。いつしかリーダー演武も覚えられ立派にこなされておられました。

応援団活動はどうでしたか。楽しまれましたか。他クラブの友人は増えましたか。

大学後半はコロナ禍で制限のある生活に一変したことと思いますが、社会ではリモートワークなど働き方改革も進んでいます。これから会社生活に移行するわけですが、ひとりではなく周りの方とコミュニケーションをとるよう心掛けてみてください。     押忍



13.永島登子(45)

4回生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

皆さんが新入生の年に私は幹部を務めておりましたが、当時、リーダー部•チアリーダー部ともに部員不足の中で皆さんが入部してくれて、とても嬉しかったことを覚えています。

これからも、皆さんがそれぞれの地で持ち前の明るさや強さを思う存分発揮できることを願っています。

私もこの3月で熊本大学大学院を修了予定です。4回生の皆さんとともに、この春から新たな環境で頑張りたいと思います。 



14.高橋敬一(8)

 第48代応援団の皆様のご卒業を心よりお祝い申し上げます。1年生と2年生の後輩の顔はマスク越しにしか知らないという異常事態の中での学生生活を過ごして来られた皆様でした。人生の中で一番大切な時期(モラトリアム)がこのような形になってしまったのは、どうしようもありませんが、是非どこかでゆっくり取り返して下さることを願っています。

 私は、第8代の高橋敬一と申します。現在は、太宰府にある福岡女子短期大学に勤めています。皆様の在学中の慶事として、改元がありました。2019年(5月7日)に新年号が平成から令和と改元されました。そのことが太宰府と深い関係にあるとして、太宰府もしばらく賑わいました。その話をちょっとしたいと思います。二漢字を組み合わせて作る年号は、それまで慣習として漢籍から取ってきていたのですが、今回は万葉集から取られたものであるというので話題になりました。太宰府との関係は、太宰府帥(長官)であった大伴旅人の邸で、32人の官人が集まって梅花を愛でる宴会が行われ、そこで歌われた和歌が万葉集に「梅花の宴32首」(序文付きの歌集の体裁)としてそのまま記録されています。その冒頭の…

「初春令月 気淑風和」(初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぐ)

の二漢字の組み合わせによるものです(令月は正月のこと)。

 最後に、本当はこの話をしたかったのですが、旅人は、無類の酒好きだったようです。万葉集の中にある旅人の「酒を讃むる歌13首」の中から

首を紹介したいと思います。

 験(しるし)なき 物を思はずは 一杯の濁れる酒を 飲むべくあらむ

 

(物思いなどにふけるよりは、いっそ一杯の濁った酒を飲む方がよいだろう)



15.安倍昂洋(33)

OB、現役生の皆様、お元気でしょうか?

 コロナのためOB会の開催もままならず、ご無沙汰しております。

 2020年以降、社会生活が激変しまして、飲食業・旅行業はじめ、大打撃を受けているのはご承知の通りですが、航空会社に勤務しております私も例外ではありません。幸い国内線のみで、小型機乗務ということもあり比較的仕事は残った方なのですが、それでも緊急事態宣言下は仕事が無く1週間家に居ることもあり、本当に自分はサラリーマンなのか?と疑問に思ったほどです。忘れもしない2020年大晦日の最後の仕事は、本来ならば年末年始の繁忙期であるにも関わらず、76人乗りの飛行機にお客様はたったの4名でした。ただコロナ以前は仕事で地方での泊まりも多く、家を空けることが多かったのですが、その分夫婦で過ごす時間は増えたので、必ずしもマイナスの側面だけではなかったかな、とも思っています。

 そんなコロナとの戦いももう2年以上…時の流れの速さを感じます。

 

ついこの前入学したように思える新入生がもう卒業と思うと、自分も歳をとるわけです。チアリーダー部にはろくに面識も持てないまま卒業していく人が何人もいるかと思うと、寂しい部分もあります。今の学生は授業がリモートになったり、課外活動が制限されたりと、自分達の頃と比べるとかなり息苦しい学生生活を強いられてしまったかと思います。そんな中で、もし応援団での活動が学生時代のプラスの思い出に少しでもなったのであれば幸いです。就職する人、進学する人と様々でしょうが、卒業生皆様の進路に幸多きことを願います。