熊大応援団がめざすもの(1)

ここ5か月ほど、ウルタンを読み漁り、部室の写真の整理に明け暮れていたら、ある面では一日中、応援団のことを考えている。特に、OB諸氏の一回生の時の心の葛藤を描写した文章には、熱くなるものを感じる。その文章を通して、これから先の応援団の目指す私案的なものが頭に浮かんだ。

(写真は、昭和46年夏、インカレ応援in大分で、第8代が一回生の時)

大学応援団は「母校の栄光をかけて戦っている選手やチームを力の限り応援するもの」と定義したら応援の行為に代償、成果を求めて、選手からの感謝の言葉が欲しくなる。それがないと応援団の意義がないように考えてしまうかもしれない。

でも、もっと深く考えてみよう。応援団がしている厳しい練習や毅然とした応援は手段であって目標ではない。本当の目標は己を見つめることであり、包容力のある人間あるいは人格形成にあると思う。大学体育会には属しているが、文化部会であってもよい。「応援活動を通しての自己啓発サークル」でもいいのかと考える。

「社会奉仕クラブ」が活動を通しての見返りを求めていたら、社会の信頼は勝ち得ない。同様に「応援団」も応援の行為の見返りは求めず、己を高めることへの広報方法を変換することも必要と感じる。母校愛や厳しい上下関係の習得だけじゃ新入生にアピールしても反応はない。

そんなことを考えたが、「じゃ、具体的にどうすべきか?」はOB会でみなさんと一緒に考えたい。OBに残された時間は限られている…。