全てがうまくいった新生応援団誕生①

和田初代団長の応援団を誕生させたエネルギーは皆さんご存知だと思いますが、8年間の休部状態からの応援団の復活ストーリーはあまり知らないかと思います。少なくとも僕は知らなかったです。今回の記念誌の中にも掲載していますが、ぜひともOB会の前に皆さんに読んでいただきたい思いこのブログで紹介します。32代の梅木団長、川林チアキャプテンの寄稿です。この中に、現在団員1名のリーダー部の復活の道があると思います。少し、長文ですが読んでください。

 

熊大応援団復活ㇸ(32代 梅木久義)

 

私は2003年4月熊本大学に入学しました。当時、大学に入学したからには自分が熊本大学にいたということを何か残すべきだと考えていたのを覚えています。そう意気込んでいたのと応援団との出会いは偶然でした。

 

私の入学当時応援団は活動をしておらず8年間部員もいない状態でした。初めて応援団の存在を知ったのは、体育会本部が毎年発刊している新入生向けのサークル紹介冊子でした。応援団のページだけ活動写真も活動内容も記載無く、部員募集中という言葉が入っていたと思います。それを見て応援団をやってみるかと思い、そのまま体育会本部室に一人で出向き応援団をやろうと思うということを申し出に行きました。偶々卒業されていた体育会本部役員の方々とお会いし、その旨を伝えたところ非常に興奮されていたのを覚えています。

 

そこで出会ったのが前原啓太さんをはじめとする体育会本部役員兼第31代応援団の方々でした。前原さん達、体育会本部役員の皆さんは、活動実態が長期間ない部活でも応援団だけは残すべきだと部室もいつでも使える状態で残して頂いており、実際の応援活動や部員の募集を精力的にされてきておりました。

 

勿論本部役員としての活動や自身の部活活動も行っている中なので、非常に苦労されたことと思いますが、それも応援団が廃部にならないようにする為でした。しかし、前原さんの在学中に部員が入らないまま復活が叶わずという状態で今後応援団をどうしようかといったところだったようです。そのような経緯を聞き決意が一層固まったのが4月の入団の時です。

  

◎団員募集とチアリーダー募集

 まず、同学部の同級生数人とワンダーフォーゲル部の部員に応援団に入るよう要請しました。ワンダーフォーゲル部へ要請したのは、部室が隣であることと応援団と同じように部員が1回生のみであること、そして存続の危機が共通していたということもあり何かと話をする機会が多かったからです。応援団が軌道に乗るまでという期間限定ではありましたが、共に練習し相談にも乗ってくれた佐藤君には感謝しています。勿論同級生の中でも最後までついてきてくれた同じ数理科学科の黒木翔平君と作本和幸君の2名にも非常に感謝しています。

 

 次に、他大学の応援団の実態を調べていてチアリーダーと共に活動している応援団があることがわかり、同様にチアリーダーも募集することにしました。夏に入るころだったと記憶しています。そこで出会うことができたのが応援団チアリーディング部初代で創始者である同じ1回生の川林さん達でした。彼女等の功績は今の活動状況やこれまでの経歴を見れば一目瞭然かと思います。

 

◎先輩との練習と後輩の入団

 応援団としての活動について右も左も分からない中でしたが、河村会長を始め先輩方に相談したところ仕事が休みの休日に武夫原に来て頂きご指導頂くこととなりました。県外から練習に参加してくださっていた先輩もおりました。応援団復活後初めてのOB総会では応援団のジャージを作りたいことと団旗がボロボロだったので団旗もほしいとお願いをする私の我儘を聞き入れて頂いたのを覚えています。 

 

 1年経ち、後輩獲得に向け勧誘活動を行っていたところ安倍君が直接部室に訪ねてきたのが安倍君との出会いとなります。彼の入団で漸く応援団としての活動が本格化していくこととなります。

 

以上が応援団復活までの経緯となりますが、私自身苦労や苦悩を感じたことはなく、休日に練習に参加して頂き何かと我儘を聞いて頂いた河村会長を始めとするOBの先輩方、応援団を無くさないよう手探りで活動し、私に繋いで頂いた前原さんを初めとする体育会本部役員の先輩方、支えてくれた同級生達とチアリーディング部を作った同級生達、入団しその後の応援団を作り上げていった安倍君を始めとする後輩の皆さんの情熱があったからこそ今の応援団があると思っております。

 

※長文になりましたので、川林さんの寄稿文は、次回に掲載します。 

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コメント: 1
  • #1

    五代 茅畑 篤 (木曜日, 07 4月 2016 09:54)

    このことの詳細を初めて知りました。
    ありがとう。感動します。