剛毅原稿、最終版は管理者でした

50周年の記念誌原稿を締め切りました。その最終提出者は管理者本人でした。50周年に向けてのメッセージとして、このブログに掲載させていただきました。以下は投稿記事。なお、50周年記念誌掲載原稿でも、事前に皆様に事前に読んでいただきたい記事は、この欄に掲載します。その方がOB会の時に盛り上がると思いますので…。

 

「OB会事務局を担った喜び」

50周年を迎えるにあたり、その事務局の一員をさせていただきました。50周年記念誌を作るには、OBの総意になるその方針を考えなければいけませんでしたが、なかなか皆さんの意見も伺う機会もなく編集に着手しました。幸い、今も現存する部室には、膨大な大学ノートに貼り巡らされた写真集、そして毎年発行されたウルタン1号から25号のOB会誌がありました。ウルタンには、現役団員の心の動きが鮮明に記録されていました。材料は一杯です。あとはそれを記念集として残せる時間と手間があるかどうかです。
その課題に直面した時、あとはやるしかないと思いました。そして、今がその時だ、あるいは最後の機会だと思いました。そして取り組みました。思った以上に写真のデジタル化は時間がかかりました。必要な写真だけを取り込めばもっと楽でしたが、一枚一枚の写真が記録に残して欲しいと訴えているみたいで、莫大な写真のデジタル化をしました。その数は1代あたり100枚にしても、トータル3000枚になりました。
その作業途中にも、うれしい出来事もありました。その作業の報告や写真をホームページに掲載していたら、OBからたくさんの写真や記録が送られてきました。本当にうれしい悩みでした。でもそのお陰で、50年の歴史の空白部分を埋めることができました。本当の意味での50周年誌に近づいたのは嬉しかったです。そして、編集中に思ったことは時間が足らない、もっといいものを作りたいという思いの中で考えたこともありました。
 一つは、熊大応援団は優しい集合体であったこと。弱い者の優しく、強い者にも優しさを求める集合体であったこと。心の葛藤を推奨しそれを乗り越える精神を培う集合体であったこと。 (過去形にしたのは単に危機感からです)
 二つは、OBにとって、熊大応援団は精神的支えであり、「熊大応援団の精神」とその時の仲間が人生の中で大きな支えになっていること。これは自分の経験からも実感できます。
 そのような中で、現在、熊大応援団の存続が厳しい状況になった時に思うことは、やはり熊大応援団が存続して欲しいということです。我々自身が心の中で「熊大応援団の心を引き継いでいる」と思っても、やはり現役の応援団が元気に活動していることが前提です。
我々の「OB会」が昔の仲間と語る場から、これからの熊大応援団を語る場に変革していかなければ…と思っています。そのきっかけが今回の50周年記念事業であって欲しいと思います。

(写真は昭和48年12月 立田山駅伝)